ご承知のようにFCBは総合スポーツクラブで、色んな競技のチームを抱えている。 その中のひとつに、車椅子バスケットボールがあり、バルサは欧州トップを争う実力だ。 今回、車椅子バスケ日本代表がリオのパラリンピック出場を決めた事をニュースで知った。 その映像を見て、この物語の主役であるA選手との話を思い出した。今日のひとり言はフットボールの 話ではないが、お付き合いいただきたい。 今から5年前の話になる。ある日、突然バルサの車椅子バスケチームのJaume Vilella(強化担当GM)という人間から私に連絡があり、日本の車椅子バスケ選手のA君とコンタクトが取りたい。サポートして欲しいという依頼が舞い込んだ。 PBJは、そもそも単に日本のファンの集まりという団体ではなく、在日バルサ大使たる役割も持つと以前に書いたが、まさに今回はそのようなケースだ。PBJとしては、少しでもバルサの力になれるのであればと全く門外漢の我々が動くことになった。これは、日本人初バルサのプロ選手誕生?のストーリーだ。 実名は伏せるが、車椅子バスケの世界において日本代表のA君は知る人ぞ知るエース。 不慮の事故で車椅子生活を送る事になってしまったのだが、恵まれた体格、特にそのパワーは圧巻で、日本代表のエースとして君臨している。 その代表がある国際試合でプレーしていた時に先記のバルサの強化担当であるViella氏の目に留まり『この選手が欲しい!』となったようだ。フットボールだけでなく、あらゆるレベルのチームにこういう強化担当が存在するバルサの組織力に改めて感心した次第だが、ともかく、車椅子バスケ版の欧州チャンピオンズリーグで優勝を狙うためにはA君が必要だ、というラブコールだ。 これを受け、私と副会長の山田二人で、何とかバルサのユニを着る日本人選手を誕生させようと奮起した。 とはいえ、恥ずかしながら、この世界には全く伝手もネットワークもない、協会に電話してみたり、回り道をしながらようやくA君にたどり着いた。何度か彼の出場する試合も観に行った。侮るなかれ、トップクラスの車椅子バスケの試合は、すごいスピード感と肉弾戦。一気に引き込まれる。 彼のチームの監督や、代表のコーチの承諾を得て、早速この話を、A君に伝えた。 A君にとっては寝耳に水の話。あのバルサが? 夢のような話だと驚きながら、前向きに話を聞いてくれた。 代表のコーチも、それは願ってもないチャンスだと背中を押した。長い目で見たときに、日本の車椅子バスケがワールドクラスになれるチャンスだと。 しかし、これは障害者の海外移籍であり、車椅子というハンデを背負ってのチャレンジ、我々素人が簡単に考えて実現できるものではない。 バルサの車椅子チームは欧州CLの常連でありフットボール同様に欧州各地を飛び回わる。フットボール同様に、各国から一流選手を集めたチーム、そこに加わるのだ。 クラブ側はサポート体制は十分にあると自信を持っていたが、しかし、現実論となるとA君の不安は尽きない。 日常生活は誰がサポートするのか?(日本では彼女が常に帯同サポートしている)スペイン語は? バリアフリーの住環境は? 健康管理と食事は?等々。一気に夢から現実に戻ってしまう。 日本ではハンディキャップを持ったアスリートに対する理解とバックアップ体制(協会含め)は残念ながらまだ十分ではないらしい。代表のエースのA君クラスであっても、競技だけでは当然生活は出来ず、企業の社員となり、後ろ盾をもらっての生活。しかし、それはラッキーな一部の選手だけだ。 幸いにも、彼にはバックアップ企業があり、そういう環境を全て捨ててでも海外移籍にチャレンジすべきかどうか、戻った時の保証は何もない。。。と悩みに悩んだ。 副会長の山田が、現地に飛び、実際にバルサが用意してくれる契約金、給与、バリアフリーの住居等詳細を詰めて来たのだが、最終的にはこの話、実現には至らなかった。バルサは今でも残念がっている。 ただ、本人も悩みに悩んだ果ての苦渋の決断だ。実現はしなかったが、PBJとしては最大限の努力をした。 日本人初のバルサ、プロ契約選手が出るかも知れない。それは実はフットボールからではなく、こんなところにあった。バルサの抱える様々なスポーツで色んな可能性がある。PBJはフットボールは勿論だが、このような形でもバルサの力になってゆければと思っている。